rainy season’s diary

梅雨の憂鬱

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お金のことが不安でどうしようもなくなってる。貯金おろす度に具合悪くなる。こればかりは多分誰も助けてくれないので本当に苦しい。

週一のバイト決まったんだしそこは楽なんだし落ち着け自分。一個決まっただけでその分良くなったではないか。面接にも行っているではないか。頑張っているよ自分は。

限られたお金でどうにかできるように頑張ろう。カウンセリングでも話そう。買い物依存の傾向があってぼーっとして知らぬ間に使ってしまう。今日はそんなに使ってないのに自己嫌悪がハンパない。

千円分って決めてちゃんとお買い物したのに…この際無駄なところには使わないほうがいいかもしれない。

嘆いたってしょうがない…でも苦しい

 

なぜお金がないと不安なのと聞かれ色々考えた。

ある場所で暮らしていた時、1人だったからお金がない=実家に帰らなければならないと思っていた。それが染みついてたから。

そして、引きこもりだった時親に外に出なさいと言われ頑張って外に出る時、友達と約束を作って頑張って外出する(お金がかかる)か買い物をするという目的で外出するかのどちらかで(お金がかかる)お金がないと外に出れなくなってしまうと不安に思ったから。でも、引きこもっていたのは本当に外に出たくなかったからだし出たい時に出ればいい。

 

そう考えるとお金がなくて不安というよりは全然違うところで不安になっていたみたいだ。親から学ぶことなんて間違ったことばっかり。

今自分は何がしたいんだろう?そう問うてみると、休みたい、疲れた、だ。きっと何もしたくないんだろう。

 

振り出しに戻る。

頭に生きかたも勉強だ当たり前田のクラッカーと流れてくる。

そう、わたしはまだ1歳で、何もわからない、生きかたを知らない。はじめて学んだことだ。なあんだ、と気が軽くなった。

わからないことばかりだ。知ることばかりだ。

62

中学の時、電話で悩みを聞いてもらってた人にはじめて会った。

その時は神様の様に見えたけど、今では違う。何かがとてつもなく違った。子どものことほったらかしてそんなことするなんて…ってわかりきったこと言われた。でもそれを受け入れようとしてる。仕方のないことなんだって、みんな事情があるんだって。でもわたしは?

わたしのことほんとうに考えてくれる人は?それをひどいと思うことで何もできなくなっちゃいそうで怖くて飲み込んでる。まだ苦しい、あの時よりはよくなったけど苦しいよ。きっと他の、もっとひどい家庭なんてあるよ。

悲しかった、その場で泣いちゃいそうになった。わたしのこと知ったふりしないでほしい、今のわたしのこと何も知らないくせに困ったことがあったらいつでも言ってねって、なんだそれ。その言葉でじゅうぶんに傷つくよ。残念だったね。

 

言葉で言えない何かが心に詰まって爆発しちゃいそう。

月も星も素通りなんだろ

527

今まで梅雨はぼんやりしていてうつになっているのだと思っていた。

でもそうじゃない、離人感がとれてうつになっているんじゃないだろうか。

そもそも、自分を否定していることをヴェールを身に纏い傷ついた心を包んでいるからそれがとれれば否定する。

そして、梅雨は母の鬱が酷くなる時期でもあり、一番大人にならなければならない時期だったんじゃないだろうか。

ということは、こどもに一番ならなきゃならない時期だ。

こどもになる上で感じたのは、誰かに何かをいわれた時とか、まあ常にそうか。対等である前提で対等に感じないことがポイントだと思った。こどものままで感じてもいいということ。真面目な場でも、スッと大人にならなくてもいいということ。

 

あと、身体のいうことや心のいうことにきちんと本当の意味で耳を傾けたい。

526

楽しいのも、幸せだって思うのもつかの間で、結局はひとりぼっちだ。

そう、ひとりぼっちってことを忘れてた。いい意味で言ってる。でもそれが我慢ならないほどつらくて悲しい。

誰もかれもが他人で、ほんとうに自分のことを思ってくれる人はいない。自分しかいないとか言いたいところだけど、自分でさえ自分のことをほんとうに思っていないんだと思う。たまに思ってるんだろうけどさ。

誰もいなくなるんじゃないかって、大切に思っているような人から。心の準備をどこかでしておかなきゃならないのかな、、とか思うけどもともと一人だったりね。なんにもわかんないのだ

 

きっと明日には反対のこと思う

 

鬱の思考は正常な思考を否定し、正常な思考は鬱の思考を否定する

524

今日は家のことをすまし、気持ちよく朝から買い物に行った。

選んでいる時は楽しかったし、前日の夜にいくらくらいまでにしようと決めてその範囲で買い物をしたにもかかわらず、何故だかすごく自己嫌悪に陥ってしまった。ごめんなさいという気持ちでいっぱいで胸が苦しい。単純にお金がないのに使ってしまったことへの後悔もあると思うけれど、使ったらダメだと思えば思うほど使ってしまう。

何故だろうと考えていた時、父親がケチでわたしが買い物するたびに何を買ったのか必ずチェックをし「またそんなもの買ったの」とよく言われていたのを思い出した。母親もわたしと一緒にコソコソ買い物をし、買ったものをよく父親が帰ってくる前に隠していた。捨てる時もそうで、勿体無いといい、わたしのものなのに捨てさせてくれないことがよくあった。

今も割とその習慣が無意識に出て、何か買ったものや食べたものを隠そうとする時があって自分でも驚く。

 

最近自分の自己肯定感が低いのはわかっていたけれど思った以上に低いことがわかって結構ショック。

人がオブラートに包まず、バシッと意見を言う時に責められているように感じたりする。

 

あとここ最近思ったのが、へとへとになるまで頑張ってしまい、具合が悪くなることがとても多いことに気がづいた。

仕事でも遊びでも、自分の予定やルールに従って最後までやりきらないと気が済まなかったり、やり遂げられなかった時の落ち込みが異常にある。何をこんなに頑張っているのか自分でもよくわからない。

 

まだまだなんだなとしみじみ思う…むしろ始まったばかりなんだろう…

そして、この自分自身のつらさは自分にしかわからないことなのだと思った。

いい意味でも、悪い意味でも。

誰かにわかって欲しくて、わかってもらえなくて駄々をこねるようなあまえかたはしたくないと思ったけど、それをまたルールにしてしまい自爆しそうだなとも思う。

あまえるってなんなんだろうか。自分の思うように生きるってなんだろうか。自分の意見に胸を張るってなんだろうか。

523

今年も梅雨の時期がやってきた。

何もかも否定的に捉えてしまうことを自分でも客観視している。

今年の梅雨の目標は「徹底的に無理をしない」にしようと思う。

誰が何をしていようと、言おうと、わたしを生きているのはわたししかいないのだから。約束に行けそうにない時は急でもきちんと言うこと、自分の本当の心の気持ちに耳を傾けること。

 

今は一日中寝てしまったことと

→でも最近たくさん動きすぎて疲れていたので休むことはいいこと、最初にそう思って休むことにした

昨日悲しいことがあって何も言わずに先に帰ってしまったので、探し回させてしまったことへの自己嫌悪や罪悪感で嫌われているんじゃないかと不安になってる

→ちゃんと謝ったし、相手はわかってくれたので信じていいのではないか

 

という今日はそんな感じだ。